お知らせ

せきぐち – 2017年3-4月号

2017年05月10日

500号にあたって

 

上の見出しは、「せきぐち」200号(1986年7月)で新たに使われ始めた題字です。

この200号には「関口小教区報のあゆみ」がまとめられています。簡潔で分かりやすいものなので、以下に引用いたします。

  1. 関口教会月報 第52号~第75号(明治45年1月1日~大正2年12月1日)
  2. ルルドの泉 戦前から~第66号
  3. 関口カトリック教会報 第1号~第35号(昭和27年8月1日~28年10月1日)編集責任者 青山伝道師
  4. 関口カトリック教会会報 第1号~第35号(昭和36年1月~39年3月29日)編集責任者 渡辺治師(35年~38年)
  5. 関口ニュース 第1号~第200号(現在)(昭和43年4月14日~61年7月27日)
  6. 編集責任者 塚本伊和男師(42年~46年)

今回の「せきぐち」500号というのは、上の5の創刊から数えてということになります。

200号で仮名4文字の「せきぐち」というタイトルが採用されていますが、その後「せきぐちニュース Sekiguchi News」を経て、現在ではまた仮名の「せきぐち」になっています。2011年1、2月の450号から、ほぼ現在と同じ形態になりました。 

さて、上の引用を見て「あれっ?」と思われる方がおられることと思います。最初の1が、なぜか52号という半端な号数から始まっています。ありえないことであるはずです。しかし、理由は至極簡単なことで、要するに52号以前の号が現存していないのです。そして現存するもっとも古い52号についても、保存されているのは途中のページからで、タイトルページは残っていません。

以前この「せきぐち」において、「戦禍の記憶」と題し、東京大空襲によって瓦礫の山と化してしまった旧大聖堂の写真を紹介したことがあります(485号、2015年)。関口近辺は大戦末期の空襲によって、まさに焦土と化しました。ですから、100年以上も前の明治末年の小教区報が現存していることすら、すでに奇跡と言ってよいようなことなのかもしれません。

左にタイトルページの画像を掲げましたが、この「関口教会月報」、さすがに時代がかっています。タイトル下にある「互ニ相愛せよ」の前の2文字は、意味から類推すれば、おそらく「なんじら(汝等)」のことではないかと思うのですが、このような漢字を用いる用例が外にあるでしょうか。一字目は「禹(う)」のようで、二字目は「くさかんむり」に「寺」です。

しかし、それはさておき、この「関口教会月報」は、少々たじろいでしまうほどの、充実した内容になっています。53号を例にとりますと、「悔悛(第五)」から始まり、そして「聖書之研究――創世記(つゞき)」、「ドン・ボスコ傳」と続いて、最後のページが会計報告(「布教費」となっています)や信徒動向といった、お知らせのページに充てられています(なお、52号のこの欄には「瀕死小児授洗」という言葉が見られます。今に比べ、はるかに新生児死亡率が高かった時代のものであることが自ずと理解できます)。一小教区報で「カテキズム」「聖書注解」「聖人伝」という、キリスト教を学ぶうえでの主たる要素を網羅して毎号連載していたのですから、当時の人材の豊かさ、層の厚さに驚かされるとともに、執筆者、編集者の熱意には頭の下がる思いがします。

文章の中身自体もなかなか興味深いので、少しだけ見てみましょう。「悔悛(第五)」では「痛悔は超性的でなければならぬ」ということが解説されているのですが、多くの読者は、まず「超性的」という言葉で引っかかってしまうのではないでしょうか。「性別を超えた」の意味に理解してしまう人も多いかと思います。違います。これは「人間の性質を超えた」ということです。

この超性的を説明するのに用いられているたとえが、実に面白く見事なので引用しておきます。

「解り易い例(たとえ)を以(もつ)ていへば、吾々が家根(やね)に上つたとき、誤つて墜ちることは梯子(はしご)の有無に係らぬ、けれども再び家根に上らうとするには是非とも梯子が無(なけ)ればならない、恰度(てふど)之と同じで、吾々は意志(こゝろ)が弱くて罪に墜ち易いが、高きに登る梯子なる助力の聖寵を受けなければ、罪によつて失つた成聖の聖寵を再び受けることが出来ない」。

シンプルであってこそ、たとえは分かりやすく意味あるものとなる、そのことがよく理解できます。

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ここには、戦後のコンセットハウス(カマボコ兵舎)時代の写真(1951年ごろ)と、その後に建てられた仮聖堂の写真も掲載しました(いずれも、関口教会80周年記念誌『時の流れをこえて』、1980年より)。

500号の節目にあたり、過去を偲ぶとともに、物資には事欠きながらも熱い気持ちを内に絶やすことのなかった往時の方たちのことを想い、そこから叱咤と励ましを得る機会になればと思っております。

 

 

 

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