お知らせ

週報No.427-2019年1月27日(年間第3主日)

2019年01月26日

1.信徒総会の開催について

本日、10時ミサ後、ケルンホールにて定期信徒総会を開催します。年1回の総会ですので、皆さまぜひご出席ください。

2.本日はケルンデーです。

毎年1月の第4日曜日は東京教区ケルンデーです。姉妹教区であるドイツ・ケルン教区のため、とくに司祭・修道者の召命のために祈りましょう。 

3.マリア会からのお知らせ

2月3日、10時ミサ後、中会議室にて総会・新年会を行います。関口教会の女性の方どなたでも歓迎です。参加費500円。参加申込及びビンゴ景品の寄付を本日8時ミサ後から10時ミサ後まで聖堂入口にて受付けます。

4.サル・テッレ会からのお知らせ

2月3日、10時ミサ後、集会室1にて総会・新年会を行います。郵送等で事前に申し込まれた方は遅れないようご出席ください。

5.司祭の異動について

1月7日に教区司祭の第1次人事異動が発表され、西川哲彌神父様は清瀬教会主任司祭へ、ルイス眞境名神父様は佐原教会小教区管理者へそれぞれ異動されます。後任の主任司祭は現秋津教会主任司祭の天本昭好神父様です。(4月21日付)

6.広報部からのお知らせ

教会報「せきぐち」の編集作業を行って下さる方を募集しています。ご協力いただける方は主任司祭までお申し出ください。

 

1月27日の予定

世界こども助け合いの日・献金(各ミサ中)
 
ケルンデー
 
信徒総会(10時ミサ後、ケルンホール)
 
信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
 
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
 
教会学校(10時ミサ後、教理室4)
 
アデステ(10時ミサ後、小会議室)
 
 

2月3日の予定

信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
 
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
 
教会学校(10時ミサ後、教理室4)
 

 
その他の予定

初金ミサ(2月1日、10時、地下聖堂)
 
 

司祭短信 85

先週は、霊名の祝いをしていただきました。ありがとうございます。20日の10時ミサで、三人の献金少女が、大きな花束を抱えるように手渡してくれました。さらに教会委員長から、暖かいお言葉とともに金一封を頂きました。ありがとうございます。司祭冥利に尽きます。実は、前日の土曜日、19日に76歳の誕生日を迎えていましたので、自分自身とすれば、二重の喜びでした。

先日、岡田大司教様から電話があって、電話の終わりに、忙しい関口の主任に任命し、任務を果たしてくださってありがとうございましたというねぎらいのお言葉をいただきました。よそでは到底経験できないことを、させていただいたことを感謝していますとお答えしました。

司祭異動を伝えるファックスが今月7日に届き、いく日もしないうちに信者さんに行きわたったようで、それなりの反応はありました。「新しい酒は新しい革袋に」という聖句もあるくらいですから、若い教区長の元で、若い司祭が働くというのは自然のことです。クリスマスの頃、大司教様から一言、転任の話があった時、何のためらいもなく「はい」と答えました。

先ほど、19日が76歳の誕生日だったと申し上げましたが、その通りです。割と、健康に気をつけているつもりですので、身体は、何とか元気です。一昨年、膝の軟骨がなくなって、歩くことに支障を起こしました。すぐに、前から耳にしていた目白整形に行って診ていただきましたが、「加齢です。70歳を超えると、誰もが通らなければならない道です」とのことでした。翌日、藤倉さんが、ご自分の経験から学んだ治療法を、細やかに文章で伝授してくださり、助けていただきました。他にもたくさんの方々のご親切をいただきました。教会は一つの家族です。ありがたいことです。ご存知かと思いますが、一度磨耗してしまった膝の軟骨は再生しないのだそうです。ですから、リハビリで筋肉をつけて、骨と骨がぶっつからないようにしてゆくしか方法はないのです。助言に従って、毎日、少しずつリハビリをやっていますので、今のところは、歩くことに不自由は感じていません。それにしても、歩けるということは素晴らしいことだと毎日思っています。

霊名のセバスチャンは、19歳で洗礼を受けた時、導いてくださった澤田神父さんがつけてくださった名前です。誕生日に近いということでくださったとのことでした。ローマ皇帝の近衛兵だったセバスチャンが、禁教の中で信者になり、それがバレて、弓矢で処刑され、死んだはずなのに生き返り、信仰を捨てることなく生きて、再度処刑されて絶命するという物語りのある方です。いつも、霊名の記念日と誕生日がまとめてくるので、嬉しい日々です。

76歳になって感慨ひとしおです。考えてみると、神学校の同級生や、それに近い頃に叙階されて司祭が、何人も亡くなっています。また、入院生活をしています。その司祭たちのことを思うとき、自分も、そういう歳(とし)に来ているんだなと気づきます。最近「人生百歳」時代に入ったと言われます。百歳までは、あと24年あります。残りの人生、司祭としての最高の時を過ごしてゆきたいと思っています。