お知らせ

週報No.413-2018年10月21日(年間第29主日)

2018年10月20日

1.オーストリア・ドイツ合同合唱団の来訪について

10月28日(日)の10時ミサにオーストリア・ドイツ合同合唱団が参加し、聖歌隊と一緒に聖歌を歌います。ミサ終了後、大聖堂でミニコンサートがありますので皆さまお聴きください。また、12時30分からケルンホールで合唱団と聖歌隊との交流会が行われる予定です。                                                                                        

2.秋の大掃除の延期について

10月28日(日)は秋の大掃除の予定でしたが、当日上記のミニコンサート、交流会が予定されていますので、大掃除は11月11日(日)に延期いたします。

3.西川神父の予定について

西川神父様は東京教区司祭研修会参加のため10月24日(水)から10月26日(金)まで不在となります。

4.追悼ミサの申込みについて

11月4 日(日)のすべてのミサは追悼ミサです。追悼を希望される方は聖堂入口で追悼される方のお名前を芳名帳にご記入の上、献金を添えて10月28 日(日)までにお申し込みください。信者でない方の追悼もお受けします。

5.七五三の祝福の申し込みについて

11月11日(日)の10時ミサの中で七五三の祝福を行います。祝福を希望される方は教会事務室でお申し込みください。(締め切り11月4日(日))

6.長寿のお祝い2018」集合写真の配付について

9月16日(日)の長寿のお祝いに出席された皆さまの集合写真が出来ています。申し込まれた方は10時ミサ前後に大聖堂入口にて係にお名前をお申し出いただきお受け取りください。

 

 

10月21日の予定

世界宣教の日 献金(各ミサ中、各聖堂)

聖歌隊練習(9時10分及び10時ミサ後、中会議室)

ディリの会(10時ミサ後、小会議室)

10月28日の予定

合同合唱団リハーサル(8時30分、中会議室)
 
信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
 
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
 
アデステ(10時ミサ後、小会議室)

その他の予定

初金ミサ(11月2日、10時、地下聖堂)
 

 
司祭短信 71

いつか、短信で書いたことがあります。覚えてくださっていますでしょうか。内容は、朝焼けのことです。私の元気の源の一つは、朝焼けです。季節によって多少時間差がありますが、だいたい4時半から5時過ぎまで、夜明けの前に、東の空が赤く染まります。夕焼けほどではありませんが、夜が開けていない暗闇が、夜明けを告げるように、赤く染まるのです。見事です。

私が住んでいるのは、関口会館の三階で、南向きの部屋です。ということは、カテドラル大聖堂が目の前に見える部屋です。聖堂だけではなく、駐車場やルルド、遠くには講談社のビルも目の中に入っています。鐘楼がドーンと立っているので、聖堂の玄関は見えません。しかし、司教館やペトロの家も視界の中です。

目の前にあるからといって、いつも外を見ているわけではありません。むしろ、外を見るときは、見下ろすような感じなので、ちらっと見るくらいです。たまたま、お久しぶりの神父さんが通っているのを見かけて、つい声をかけてしまいそうになっても、ぐっと抑えてしまうくらいです。よほどの場合は、走って下まで降りてお声をかけることもありますが、一年位に一回あるかないかです。

さて、朝焼けのこと戻りましょう。お日様が出る前に、空が真っ赤に染まるのは、言葉にならないほどの感激があるのです。朝焼けを見た方が誰でも感激するということはないでしょう。当たり前のことですから。しかし私にとっては、新しい、まっさらな一日、もっと言えば、なんでも書けるまっさらな紙が与えられ、「自由にお使いなさい」と言われているような気がするから不思議です。

地球は24時間で一回転します。それに伴って朝があり昼があり、夕方、日が暮れて夜が来るということで一日が終わります。地球の自転がもたらす24時間の変化ですが、この一日は、毎日来るようで、いつも一回こっきりの一日なのです。昨日の続きではあっても、しかし、今日という日は今日しかないのです。

思いがけない災害に襲われて、長年使っていた家がもろくも流されたり、収穫寸前の果物が無残な姿になってしまったり、かけがえのない命が濁流の中に飲み込まれたりする不幸が起きています。投げかける言葉もありません。しかし、そんな不幸の中で立ち上がっている方がたくさんいらっしゃいます。新しい一日が与えられているからでしょう。

朝焼けを眺めては元気を頂いています。イエスの事を思います。父なる神がどれほど私たちを愛し、摂理を通して愛を注いでいてくださっているかを思います。と言いながら、のんびりしておられません。しなければならないことが山とあるからです。体が自動的に動きます。気が付いたら、太陽が上がって朝そのものになっています。新しい一日の始まりです。