お知らせ
せきぐち – 2013年1-2月号
2013年03月14日
新年メッセージ①「赦す」
助任司祭 倉田 厚
子どもの頃、失敗してしまい、帰るに帰れずに、家の前で呆然と立ち尽くしたことはありますでしょうか?試験がうまくいかなかった、いたずらがばれた、物を壊してしまった、人を傷つけてしまった、そんなとき。
神様は、そんなわたしたちを「早く入ってきなさい」と待ちわびる。わたしたちの惨めさ、弱さ、小ささを神様はご存知だから、待ち侘びてくださっている。
わたしたちが家に入り「ごめんなさい」と、愛にすがることをひたすら待ち侘びている。
わたしたちの誰もが、誰をも悲しませたくはないし、悲しまされることも望んでいないはずです。出来ることならば、誰かを喜ばせたいし、喜んでいたい。しかし、ふとした弾みで、目の前が真っ暗になるような出来事が起きてしまう。
まさに絶望そのものが眼前に迫る。絶望は誰かに与えられるだけではなく、自らの選びで突きつけられることもしばしばある。けれども、イエス様は、わたしたちに絶望ではなく、希望を示して下さった。
わたしたちを徹底的にご存知の神は、赦すことを選び、赦すことを示して下さった。イエス・キリストを通して、イエスが出会った多くの人たちを通して、弟子たちを通して、神の赦しが示された。
わたしたちが良い道を探し、良い道を選ぼうとする、けれども、うまくいかないときがある。その不安に押しつぶされないよう、あらかじめ示して下さった赦し。いつも喜んでいなさい、いつも感謝しなさい。失敗ではなく、希望を信じなさいと。神は護り、神こそ盾。
赦しは油断する道ではない。
赦しは切実さを求める。
どんなことがあっても、そこから立ち直り、わたしたちがふたたび歩むこと、希望を生きることを神様は望んでおられる。
神様の赦しの中に生きる。
神様の赦しを表現する。
わたしたちが交わりを生きる。
ここに、神の国の現れがある。
神の愛を裏切ってはならない。
わたしはそう信じている。
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