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菊と母

2018年11月03日

西川神父

野菊が咲き始めました。菊はいろんな種類があり、どれも好きですが、小菊や野菊が特に好きです。私は、広島で育ちましたが、小学校の頃の思い出の中に、菊が鮮明に出てきます。その菊が小菊であったり、野菊だったりするのです。よくわかりませんが、ひょっとすると、小菊も野菊も同じものかもしれません。

家の周りに、母が面倒を見ている花がたくさんありましたが、菊もその一つで、小菊は、根元が見えないくらいに大きくなって、周囲が約4メートル、高さが1メートル半くらいはあったでしょう。菊の塊です。そのような花の塊がいくつもあったように覚えています。その他にも、自然に任せて大きくなっている花があった記憶があります。

ある時、母が、花を摘んで花束を作り、市場に持って行ったらお小遣いになるよと言い、見本を一つ作ってくれました。その見本を見ながら、花束をいくつも作りました。そして朝早く、友達と二人で市場に持って行きました。

母が教えてくれたように、市場の入り口で、品物を受け付けているおじさんに、「この花売れる?」と聞きました。「売れるかどうか、置いてみないとわからんよ。ともかく花を置く場所に持って行ってこの紙を上に置いとけ」と言われました。その紙には「菊・西川」と書いてありました。花の場所には、沢山の花が置いてあり、それぞれ紙が載せてありました。

しばらくして、セリが始まり、野菜や果物が競り落とされ、上に置かれた紙に走り書きがしてありました。出した人はその紙を持って入り口にある事務所に行くのです。そして暗号のように書かれた金額のお金をもらう様子でした。その金額で売れたということなのです。私の花の上にあった紙にも何か走り書きがしてあり、それを持って行くと、わずかですが、お金が渡されました。母が作ってくれた見本も、そのお金の中に入っていました。ともかく菊がお金になったのです。

それから、何回か、市場に行くことがありました。ほんのわずかではありますが、お金を稼ぎました。私にとって、貴重な経験です。お金を稼ぐために花を育てるのではなく、自然が育てた花がお金になるという経験です。それにしても、母はいろんなことを教えてくれた先生でした。想像もつかないほどの偉大な教師でした。その母も、私が中学生の時、他界し、お骨は父や妹とともに廿日市市にある広島教区の墓地に埋められています。あまりに早く行ってしまったので洗礼を授けることができませんでした。そのことが悔やまれてなりません。

私は、スーパーなどでよく花を買います。特にというほどのこだわりはありませんが、花のない生活は考えられません。こまめに水を替えたり、裾を切ったりして長持ちさせるようにしています。一生懸命に咲いている花に支えられています。

 

西川哲彌 神父

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