お知らせ

イチゴ畑

2018年06月16日

西川神父

目白通りの中華屋さん「栄和楼」が約50年の歴史を閉じて1年以上になります。関口教会と栄和楼のお付き合いは並々ならぬものがありました。閉店して寂しいというより、ないので困っています。「あって当たり前」「当然あるもの」というような感じの店でした。ところで栄和楼の閉店にはおまけがありました。

閉店間もなく、数軒離れたところにあったそば屋さんも閉店してしまったのです。栄和楼がなければ、せめて、そばでも食べようかと思う、そのそば屋さんもなくなってしまったのです。いったい、ぺこぺこのお腹を抱えて行くところを失ってしまった感じでした。

栄和楼は、建物も看板もそのままで、明日にでも再開できそうな感じです。実際、近くで、『おばちゃん(旧店主)』に出会うと「いつ、再開するんですか」と、つい言ってしまいます。しかし、同じ頃、閉店したそば屋さんは、昨年初めに工事が入って、あっという間に建物を壊し、更地にしてしまったのです。これには驚きました。間口は狭いのに奥行くが長い敷地で、その長さに驚きました。なにしろ壊し始めて更地になるのに三ヶ月以上かかったと思います。大きな機械が何台も来て、壊したり、瓦礫を運んだりしていました。そのうち

シートを貼って中が見えなくなりました。シートの横に、これからの工事の内容が出ていました。立ち止まって読んでみると、5階建てのマンションが立つことになっているんだそうです。

今はシートも取り払われて、空き地になっています。そのうち工事が始まるのでしょう。驚いたことに空き地になって三ヶ月あまりで、草が生え始め、奥の半分は草ぼうぼうになってきたのです。それを見て、2年前の司教館の裏の空き地を思い出しました。

四月の初めは枯れた草地に草が伸び始め、五月に花が咲き綺麗でした。しかし六月、七月には1メートル以上の背丈の草林になっていたのです。ある日、Iさんが、草を刈ってくださいました。そして、そこから、土壌改良の作業が始まったのです。空いた時間を使っての作業でしたので、少しずつ進んで行きました。まずは、ツルハシとスコップで掘って、大小さまざまな瓦礫を引っ張り出して別のところに置き、土をふるいにかけて石ころを取り出しました。八月の暑い時期に暇を見つけてやるのですから、かなりきつい労働でした。一通り終わってから、花を植えました。そして昨年はそこにイチゴも植えました。今年は、イチゴがかなりなりました。人が取らないと、取りや虫たちが食べているようです。草は生えていません。時々、草取りをするからです。

 

閑話休題

この前、このコラム欄で、「被爆カンナ」の話をいたしました。植えて何ヶ月も経つのに、芽が出てこないので、Iさんに掘り出してみてもらいました。4本植えたのに、どれも腐ったようになっていて、芽らしいものが発見できたのは一本だけでした。がっかりしながらも諦めがつかず、また同じところに埋めておきました。そして数週間後の昨夜、ルルドのお花の世話をしている方が、「カンナの芽が出ていますよ。三本。しかも元気に葉っぱも出ていて、カンナだとすぐにもわかるような葉ですよ」と教えてくださったのです。早速見てきました。その通りでした。すごいです。被爆カンナです。70年は草も木も生え出ないと言われていた原爆被爆地広島に、その年の秋、芽を出し、翌年花を咲かせて、被爆者の心に希望を与えたカンナの子孫です。ご覧になってください。そのまま育てて行きましょう。やがて、ご希望の方に株分けする日が来るでしょうか。

 

西川哲彌 神父

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