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わたしにつまずかない人は幸いである

2016年12月10日

シスター品川

洗礼者ヨハネと言う人はイエスに洗礼を授けた人です。このため「洗礼者」ヨハネと呼ばれています。イエスによれば「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大なものは現れなかった」と言われています。それほど偉大な人が、イエスの所に使者を送って「来るべき方はあなたでしょうか」と尋ねています。これは、「昔から言われている救い主はあなたですか」という質問です。 

洗礼者ヨハネは相当悩んでいたのでしょう。自分が洗礼を授けた時には、イエスが水から上がられると天が開け、神の声が聞こえ、はっきり「わたしの愛する子」と天の父からの確証がありました。ヨハネはその声と情景を忘れることはなかったはずです。しかし、その後のイエスの行動のすべてをヨハネが理解できなかったかも知れません。その上、正直者のヨハネは、時の権力者に逆らったために牢に入れられていましたが、聞こえてくるイエスの評価にヨハネは悩んだと思われます。

イエスは言います。「わたしにつまずかない人は幸いである」と。つまり、つまずく人がいるということをイエス自身は分かっています。古い厳しい律法の決まり事に束縛されることよりも、病からの解放や癒しを優先するイエスの姿は、これまでの価値観に拘る人々への挑戦でしょう。神が求めているのは「憐れみであって生贄ではない」とあります。夥しい数の生贄を献げることが日常だったユダヤ人にとって、憐れむイエスの姿は、貧しい人や病人には受け入れられても、ユダヤ人社会を牛耳っていた人々には邪魔な存在であり、つまづきそのものだったことでしょう。

イエスの生き方は「貧しい者」「小さい者」「病気の人」と共にいることです。イエスが大切にしたものがヨハネには見えていたはずなのに、彼でも迷う時があったのか、とわたしは驚きました。

ヨハネからの使いの者を返すにあたって、丁寧にヨハネに伝言をされます。これを聞いてきっとヨハネは安心したことでしょう。「宣教」の伸び悩む日本。ゆっくり、考えてみたいイエスの言葉です。

「わたしにつまずかない人は幸いである」

 

Sr.品川ヨシ子

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