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そうだ、こうしよう

2016年09月17日

シスター品川ある金持ちの管理人が主人の財産を無駄遣いしている、ということが発覚しました。さあ、その時この管理人はどうしたか、というのが今日のたとえ話です。

聖書の中で、このたとえ話ほどわかりにくい話はない、というのが一般的な感想だと思います。
なぜなら、これを読む人が、真面目すぎるからかもしれません。この管理人はまだ仕事ができる状況の中で、自分に任せられている仕事の中のたぶん自分の取り分を差し引いて、主人から借りのある人に恩を売ったのです。つまり借金を値引きしてあげたのです。借金を値引きされた人は、この管理人に多大な恩を感じるに違いありません。こうして、この管理人は自分が職を失ったとしても、受け入れてくれる人を得たことになる、というのがこのたとえ話です。

主人の財産を無駄遣いした上に、会計報告を書く前に証文を書き直させるという不正までしたけしからん管理人だ、と決めつけないでゆっくり考えてみましょう。ものの起こりは「告げ口」です。"人の口には戸は立てられない”という諺があります。確かにこの抜け目のない管理人は、たくさんの敵も持っていたことでしょう。だからこそ、「告げ口」が主人の耳に入ったのです。しかし、この管理人は結果として、主人からこの抜け目のないやり方を褒められます。それは自分の仲間に対して、賢くふるまったからです。

何が賢かったのでしょうか。 金が無くなったとき、つまり、わたしたちが自分で自由にできると思っているものが取り去られる前に、この世の富と言われる財産や健康や若さや、その他の価値あるものと思われるものを使って、友だちを作ったのです。この世界で「小さな者の一人にしたことはわたしにしたことです」(マタイ25章)とイエスは言われました。この不正な管理人は、自分が主人の財産を管理できる地位「この世」にある時に、その地位を使って自分を受け入れてくれる小さな友達を作ったのです。

 

 

Sr.品川ヨシ子

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