お知らせ

森田神父様に学ぶ典礼 第1回(全4回)

2026年10月24日

いつまでミサに遅れていってもよいか?

助任司祭  洗礼者ヨハネ  森田 直樹

森田神父今から40年以上前のことです。当時高校生2年生だった私は、洗礼のお恵みをいただきましたが、一つの問題を抱えていました。それは、「いつまでミサに遅れていってもよいか」ということでした。バス通学をしていた私は、毎朝、母親にたたき起こされて学校に通っていましたので、心置きなく寝坊できるのが唯一、日曜日だけだったのです。このままでは、朝寝坊を決め込んでミサに行かなくなるかもしれない、と思い、通っていた学校の音楽の先生が指揮者をしていた教会の聖歌隊に入れてもらいました。そんな時、ある人から、「最後の晩さんのイエスさまの言葉、聖変化までに行けば、聖体拝領ができるのよ」という言葉を聞きました。それをよいことに時々はミサにゆっくり出かけて行ったのを覚えています。さて、「いつまでミサに遅れていってもよい」のでしょうか?仙台教区でご奉仕させていただいていた時、教区の信徒養成講座として、典礼のお話を任せられた際に、「何を大切にすればよいですか?」という私の問いに、当時の平賀司教様は、こうおっしゃいました。「仙台教区の信徒誰一人として、『いつまでミサに遅れていってもよいのですか?』という質問をしないことです。」

ミサは大きく二つの部分に分けられています。「ことばの典礼」と「感謝の典礼」です。前者は福音朗読が中心となり、頂点となります。共同祈願を終えてから始まる「感謝の典礼」では、最後の晩さんのイエスさまの言葉、聖体制定句を含む奉献文が中心となり、私たちの聖体拝領でクライマックスを迎えます。ミサに参加して、もちろんご聖体をいただくわけですが、私たちはご聖体をいただくためだけにミサに参列しているのでしょうか?ご聖体をいただくことによって、私たちは主キリストと一致させていただき、神と共に生きる日々をあらたに始めます。ご聖体の助けによって、私たちは世間の荒波を乗り越えていく力をいただきます。さまざまな問題を乗り越えていく支えをいただきます。しかしながら、それだけではありません。イエスさまの掟は、「神さまを大切にしなさい」「隣人を自分のように大切にしなさい」という二つの掟に集約されます。ご聖体によって、イエスさまと一つにさせていただくだけでなく、このイエスさまの掟を生きていくように、私たちは招かれているのです。では、具体的にどのようにこの掟を生きていけばよいのでしょうか? そこで大切になるのが、ミサで朗読される聖書の言葉です。聖書が公に教会内で朗読される時、神ご自身が語られるのだ、という信仰を教会は持っています。ご聖体にキリストが現存されるだけでなく、聖書のみことばの中にもキリストが現存されているのです。言い方を変えれば、ミサのたびごとに朗読される聖書のみことばによって、神ご自身が私たちに今日、語りかけておられるのです。この聖書のみことばに耳を傾けることによって、具体的にどのようにイエスさまの掟を生きていけばよいかが指し示されます。「みことばを実際に生きる」ことができるようになるのです。

第2バチカン公会議の『典礼憲章』には、「ことばの典礼」「感謝の典礼」が、相互に固く結ばれている、と書かれています。(n.56)したがって、ご聖体を拝領し、イエスさまの掟を生きようとする人は、聖書のみことばに必ず耳を傾ける必要があるのです。では、聖書朗読までに教会に滑り込めば、ご聖体を拝領できるのでしょうか? 私たち一人ひとりはさまざまなリズムで生活しています。ゆったりとしたリズムやせかせかとしたリズムなど様々です。ある人は余裕をもって教会に到着するでしょうし、ある人はぎりぎりに駆け込んで教会に来るかもしれません。神さまのみことばを聴くためには、私たち一人ひとりが事前に心を整え、心の耳を開く必要があります。そのための準備が「開祭の儀」にあたります。

では、「いつまでミサに遅れていってもよいか」。この答えは、「ミサの最初から参加するのがとても望ましい」ということです。余裕をもって着席し、あらかじめ『聖書と典礼』に目を通し、心を整えるゆとりがあれば、理想的だと思います。