お知らせ
週報No.426-2019年1月20日(年間第2主日)
2019年01月19日
1.次期運営委員長の信任投票について
本日、10時ミサ後、集会室1において次期運営委員長候補者の信任投票を行ないます。規約で選挙人に定められている現運営委員及び次期運営委員(現及び次期の各地区会代表者及び各宣教司牧部代表者)の方々は必ず投票を行ってください。
2.信徒総会の開催について
1月27日(日)、10時ミサ後、ケルンホールにて定期信徒総会を開催します。年1回の大事な会議ですので、皆さまご出席ください。
3.司祭の異動について
1月7日に教区司祭の第1次人事異動が発表され、西川哲彌神父様は清瀬教会主任司祭へ、ルイス眞境名神父様は佐原教会小教区管理者へそれぞれ異動されます。
後任の主任司祭は現秋津教会主任司祭の天本昭好神父様です。(4月21日付)
4.マリア会からのお知らせ
2月3日、10時ミサ後、中会議室にて総会・新年会を行います。関口教会の女性の方どなたでも歓迎です。参加費500円。参加申込及びビンゴ景品の寄付を20日と27日の8時ミサ後から10時ミサ後まで聖堂入口にて受付けます。
5.広報部からのお知らせ
教会報「せきぐち」の編集作業を行って下さる方を募集しています。ご協力いただける方は主任司祭までお申し出ください。
6.山友会へのご支援の御礼とご報告
昨年12月、2週にわたって山谷への支援を募りましたが、年末のお忙しい中皆さまから多くの献品と献金をいただきました。これらのお米、食料品、日用雑貨品、防寒着、毛布、献金94,600円などは新年に入って直ちに必需品となりますので助かります。ありがとうございました。(サルテッレ会)
1月20日の予定
西川神父様霊名のお祝い(10時ミサ後、大聖堂)
信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
聖歌隊練習(9時、10時ミサ後、中会議室)
運営委員会(13時、2F会議室)
マリア茶房(10時ミサ後、エントランスホール)
1月27日の予定
世界こども助け合いの日・献金(各ミサ中)
ケルンデー
信徒総会(10時ミサ後、ケルンホール)
信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
教会学校(10時ミサ後、教理室4)
司祭短信 84
「楽しみにしていますよ」と、わたしの顔を見てそうおっしゃる老紳士は90歳を超えた方。どうやら、毎週、週報の3・4ページを埋めている、司祭短信のことらしいです。「あんなもの(短信のこと)を載せるのなら、もっと教会に関係のあることを載せればいいじゃないの」とか、「司祭だからといって、大事な週報を私物化するなんてゆるせない」とかいろいろなご意見もあると聞いています。しかし、司祭が毎日、教会で何をしているかの一端を報告するつもりですので我慢してください。
自分のことも入っているので、言い出しにくいのですが、先週、司祭の異動がファックスで発表されました。週報にも出ていましたので、皆さん、ご存知だと思います。クリスマス前に言い渡されていたので、自分のことは知っていましたが、他の司祭については知らなかったので、「なるほど、こうなったんだ」
と、表示されて神父さんたちを思い起こしておりました。
人事は大変です。これさえなかったら、司教職はずっと、楽しいものなのにと、おっしゃっていた司教様もおられました。教区では、一応、6年が小教区の司祭任期となっています。しかし、韓国のように、何があっても交代するというわけには行きません。ぼちぼち異動かなと思っていても、さらに一年、そしてもう一年と延びて、気がついたら6年どころか、その二倍、さらに三倍の期間を主任司祭として勤めておられる神父さんもいらっしゃいます。それはそれでいいのです。それなりの理由があるからです。
人事異動と聞いて思い出すのは、尊敬する杉田稔神父さんのことです。神父さんは、志村教会で、典礼的な改革を進め、もう一歩というところで、突然、千葉県の佐原教会に転任を命じられました。改革半ばで別の教会に行くのは、さぞ心残りであったろうと思います。しかし、「司教の命令は神様の命令だ。佐原の方々が待っているに違いない。信徒の方々だけではなく、佐原地域に住む多くの方々のために、お役に立てるなら、全力を尽くそう。」とおっしゃって、意気揚々と、佐原に行かれました。司祭の人事異動の発表に接するたびに、杉田神父さんの心意気を思い出します。
神父さんは、イエスさまの言葉と行いを佐原でどのように表し、伝えて行こうかと、心を砕いておられました。勉強好きでしたので、いつの間にか、歴史をさかのぼって、佐原と水郷地帯の関係、また、江戸の筒流システムで佐原が果たした役割なども、語り部のように話しておられました。東京にいては考えるきっかけもない千葉の宣教についても、改めて、難しさを感じながらも、その方法論や宣教する教会づくりを真剣に考え、勉強され、小さな論文を書いておられました。その前向きな姿勢に感動し、口コミで、東京から、数知れない方々が佐原を訪れていて、いい季節には、毎週何人かのお客さんがあったように聞いています。
私も、時々、佐原に神父さんを訪ねました。神父さんは、車で、佐原市内だけではなく、利根川を渡って、茨城県まで教会や史跡を案内してくださいました。夏に行った時は、茨城県の穀倉地帯に連れて行ってくださり、何キロもの水田を走ってくださいました。「すごいだろう、これが秋には、稲穂がたわわに実るんだよ、見事だよ。その頃に、また来なさいよ」とおっしゃった言葉が耳に残っています。神父さんにとって、佐原は、歴史の町であるとともに、茨城という別世界への入口だったようです。神様のなさることはいつも不思議です。
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