お知らせ
週報No.418-2018年11月25日(王であるキリスト)
2018年11月24日
1.臨時信徒総会のお知らせ
本日、10時ミサ後、中会議室にて運営委員長の選出に関する規約の改正のため臨時信徒総会を開催します。皆さまぜひご出席ください。
2.クリスマスマーケットのお知らせ(福祉部)
本日、10時ミサ後、エントランスホールにてクリスマスマーケットを開催します。クリスマスリース、におい袋、手作品等を販売します。収益金はNPO法人「足立インターナショナル」に全額寄付させていただきます。皆さまのご協力お願いいたします。
3.【急募】大聖堂の馬小屋制作お手伝い!
本日、韓人教会ミサ後(14時頃)から始めます。お手伝いいただける方、お集まり下さい。
4.「クリスマス音楽の集い」お手伝いの募集について
12月15日(土)14:00~16:00に「クリスマス音楽の集い」(関口教会主催)が開かれます。当日の受付・案内のお手伝いを募集致します。本日から12月9日(日)まで10時ミサ前後に大聖堂入口にて受付けますのでご協力をお願いいたします。
5.「クリスマスミサ」お手伝いの募集について
今年もクリスマスには多くの方が教会にいらっしゃいます。そのためのお手伝い募集を始めています。先日お配りしたプリントの通り、構内誘導・聖堂内誘導・献金・救護・くつろぎの部屋と、ご協力いただける方はお手伝いください。12月9日(日)まで受付けています。
詳細はプリントをご覧ください。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
6.待降節黙想会のお知らせ
待降節黙想会を下記により開催します。皆さまのご参加をお待ちしています。
日時:
12月2日(日)、11時30分~
指導:
大阪大司教区 前田万葉枢機卿
日程:
第1講話 11時30分~12時30分(ケルンホール)
第2講話 13時30分~14時30分(地下聖堂)
聖体賛美式 14時30 分~(地下聖堂)
昼食は各自ご用意ください。
7.2019年度予算申請について
2019年度の各部・地区会の予算については予算申請用紙に必要事項を記入のうえ、12月16日(日)までに教会事務室にご提出ください。申請用紙は事務室にあります。
8.ガレージセールの御礼(ディリの会)
先週はディリの会への献品、献金ありがとうございました。皆様のご支援、ご協力のお陰で177,874円の献金が集まり、東ティモール聖イグナチオ学院へ送金させて頂きました。今後ともご支援をよろしくお願いいたします。
11月25日の予定
臨時信徒総会(10時ミサ後、中会議室)
信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
クリスマス音楽の集い実行委員会(調整中)
アデステ(10時ミサ後、小会議室)
聖歌隊練習(信徒総会後、中会議室)
クリスマスマーケット(福祉部、10時ミサ後、エントランスホール)
12月2日の予定
宣教地召命促進の日・献金(各ミサ中)
待降節黙想会(11時30分、ケルンホール)
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
教会学校(10時ミサ後、教理室4)
司祭短信 76
先週の水曜日(21日)朝、藤岡神父さんの訃報を聞きました。前日の火曜日に桜町病院に入院されたと聞いていたので、正直、驚きました。というのは、入院を嫌がっていて、ペトロの家の宿院ではどうすることもできず、結局、身内の姪御さんの説得で、やっと入院が実現したとも聞いていたからです。
先週の日曜日(18日)、12時のミサの司式をするつもりで、いつものように、アルバとアミクトスを風呂敷に包んで大聖堂の入り口まで来られました。しかし、聖堂のスロープを登ることができず、手すりに体を寄せ、しがみつくようにしているので、事務所の職員が抱えるようにして受付の椅子に座らせたとのことでした。呼ばれて行ってみると、もう、ミサができるような状態ではないので、ペトロの家に帰ってもらい、代わりにミサをしました。
事務所で、机に伏せっている神父さんに、「自分の部屋に帰って休みましょう」と言うと、「どうしてこんなことになったのか。ミサに来てミサができないなんて」と、ご自分を責めているのです。しばらく休んで、やっと立ち上がり、ご自分の部屋にお帰りになりました。
実は、その前日の土曜日の夕方6時のミサも大変でした。いつものように、香部屋で祭服に着替えて、地下聖堂に降りてミサをすることになっていました。しかし、時間になっても体をテーブルに投げ出し、辛そうにしていらっしゃったままで動く気配がありません。で、何度か、「一緒にしましょうか」と申し上げたのですが、「大丈夫」という返事でした。やがて、手すりにしがみつくようにして聖堂に降り、ミサを始められたのです。倒れるのをご自分で鼓舞するように進められましたけど、「主の祈り」の前で椅子に座り込んで立つことができなくなりました。そのあと、代わりにミサを続けることでなんとか収まりました。
9月の末ごろから、癌のマーカーの数値が異常に上がっているということで、関口教会でのミサは休ませたほうがいいとのアドバイスを聞いていました。それらしく、無理をしないようにと伝えてはいましたが、いつも撥ね付けられていました。「医者の言うことは、聞いておけばいいのだ。ミサができなくなったら、自分で、もうできないので代わってもらいたというから、それまではするよ。病気のことは医者よりも自分が一番わかっているんだから」と、いつもの返事でした。
体の変調は、本人がよくわかっていたと思います。辛そうでした。しかし、一旦、ミサを捧げるために祭壇につくと、大きな声で典文を唱え、説教をし、「行きましょう、主の平和のうちに」と派遣の祝福をして香部屋に帰っておられました。ですから、「できなくなったら、自分で言うから、それまでは、やらせて欲しい」というのに逆らえなかったのです。
香部屋で、「最近の若い神父は、ミサを何と心得ているんだろう。平日はともかく、主日のミサをしないなんて。俺たちには考えられないよ。ミサをしない神父なんて、神父の風上に置けないよ」等々、嘆き節が語られていました。神学校の教育です。また、教会に派遣されて、必要とあれば、1日に二回、三回とミサをしてきた経験が言わせているのでしょう。そういう時代を司祭として生きてこられたのです。ちなみに、現在は、集会司式者が養成され、司祭不在の時の典礼が出されているのです。そのうち、司祭が常駐していない教会が常駐している教会を上回ることになるでしょう。もうそうなっている教区もあると聞いています。ある面で、藤岡神父さんは、司祭にとって「いい時代」を生きてこられたのかもしれません。司祭生活六十年。ご苦労様でした。
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