お知らせ
週報No.383-2018年3月25日(受難の主日(枝の主日))
2018年03月24日
1.洗礼準備講座開催のお知らせ
洗礼準備講座②(担当 Sr.品川)を本日、11時30分より集会室1で行います。洗礼志願者の方はお集りください。
2.「せきぐち」発送作業のお手伝いについて
本日、10時ミサ後、中会議室で「せきぐち」の発送作業を行ないます。多くの皆さまのご協力をお願いいたします。
3.イースターのお手伝い・クッキーシール貼りのお手伝い募集
イースター実行委員会(竹内和幸委員長)では、イースターのお手伝い(会場設営、イースタークッキー配布、パーティー飲物準備、後片付け)を募集しています。また、本日、10時ミサ後、教理室1、2で復活の主日にプレゼントするイースタークッキーの袋の装飾(シール貼り)等を行います。皆協力をお願いいたします(チラシ参照)。
4.本日の献金について
本日の「世界青年の日」の献金は、一部を関口教会の青年達の活動を支援する目的で設けられている「21世紀特定預金」に積み立てます。皆さまのご協力をお願いいたします。
5.初聖体準備クラスのご案内
「キリストの聖体」の日曜日(6月3日)に子供たちの初聖体を行います。初聖体をご希望の方(小学2年生以上)は、4月1日(日)までに教会事務室にお申込みください。申込用紙は教会事務室にあります。
6.イースターパーティのご案内
4月1日(日)の復活の主日の10時ミサ後、ケルンホールでイースターパーティを開催します。
主のご復活をお祝いするとともに、復活祭で受洗された方々、この1年間に転入、受洗された方々の紹介も行います。あわせて古郡神父様とSr.品川の歓送会も行いますので、皆さまぜひご出席ください。
7.救命技能認定証について
2月25日(日)に実施した救命講習会の技能認定証が届いていますので、参加された方は事務室でお受け取りください。(救護支援チーム)
8.四旬節中の「ゆるしの秘跡」について
四旬節中、毎日曜日9時から9時50分まで、大聖堂告解室でゆるしの秘跡を受けられますのでお与かりください。
9.十字架の道行について
四旬節中の金曜日、10時から地下聖堂で十字架の道行を行っていますので、ご案内いたします。
3月25日の予定
世界青年の日
洗礼準備講座➁(11時30分、集会室1)
「せきぐち」発送作業(10時ミサ後、中会議室)
イースタークッキー装飾(シール貼り)作業(10時ミサ後、教理室1、2)
アデステ(10時ミサ後、小会議室)
4月1日の予定
イースターパーティ(10時ミサ後、ケルンホール)
その他の予定
聖木曜日(3月29日)
聖香油ミサ(10時30分、大聖堂)
主の晩餐の夕べのミサ(19時、大聖堂)
聖金曜日(3月30日 大斎、小斎)
聖地のための献金
十字架の道行(10時、地下聖堂)
主の受難(19時、大聖堂)
聖土曜日(3月31日)
復活の聖なる徹夜祭・洗礼式(19時、大聖堂)
司祭短信41
先週は、春分の日(21日)に山口教会で行われた司祭助祭叙階式に行ってきました。古郡神父さんと中高校生たちも叙階式に出席しましたが、今回の旅行が平和学習も兼ねていたので、広島市と呉市を訪れ、二泊三日の巡礼旅行でした。私は、大西君の司祭叙階だけが目的だったので、朝早く出かけ夜遅く帰ってくるという日帰りコースでした。新幹線の威力です。
広島教区の司祭助祭叙階式は、だいたい、広島市にある教区カテドラルである平和記念聖堂で行われるのですが、あいにく、聖堂が大改修中で大きな行事には使えず、山口市にあるザビエル聖堂を使って行われることになったのです。これは山口教会にとって、願っても無い朗報だったようです。ひょんなことで、叙階式の会場になったのですから。
山口教会は、約30年前、漏電が原因で火災事故にあい、聖堂のほとんどが消失しました。これは山口市民にとって残念極まりないことでした。というのは、山口教会は、市民の自慢の場所だったのです。駅前から、深い緑の中に、二本の塔が立っているシンボリックな建物がザビエル教会でした。それが火事で亡くなってしまったのでした。新しい教会が建て替えられるのに時間がかかりました。そして、今の教会堂になったのです。近代的な建物になり、しばらくは違和感を覚えた方々もいたようですが、時の流れに従って受け入れられてきたようです。
広島教区は山口、島根、鳥取、岡山、広島の5県で成り立っています。数年前まで、山口はイエズス会に委託されていました。今でも半分以上はイエズス会の司祭が司牧しています。山口はその中心教会です。今度の叙階式はイエズス会にとっても大きな喜びでした。「たしか、新しい教会堂ができてすぐに叙階式があった記憶があります。おそらくそれ以来でしょう」と、山口の信者さんが言っていました。
大西勇史さんは、島根県の松江の出身です。高校を卒業してから上京し、東京で召し出しを感じ、東京教区の神学生として神学校で学び、助祭の叙階を受けました。一直線に進んでいたがために、大きな壁に道を遮られたのです。そこから、流浪の旅が始まりました。とりあえず、出発点である松江に帰り、煩悶の日々を過ごしていた時、当時の広島教区長、前田万葉司教様から声がかかりました。生活の場が与えられたのです。そこは、広島市の幟町教会でした。
周りの冷ややかな眼の中で、厳しい生活が始まりました。それは、前田司教様の膝元で、ひたすら青年たちに寄り添う生活でした。夜は遅くまで青年たちにつきあいました。自然と朝が遅くなり、それも非難の元になったりしました。でも、青年たちとの付き合いは続きました。司祭たちも、大西助祭を応援しました。教会に来ても行くところのない青年たちは、大西助祭が唯一の頼りでした。
前田司教様は、広島に赴任して三年目に大阪の大司教として広島を離れました。そのあとに着任された白浜司教様が大西助祭をしっかりと観察し司祭叙階をお決めになりました。神様の計らいはいつも不思議です。大西助祭が司祭叙階の恵みを受けたのは白浜司教様を広島に派遣されて時に決まっていたのかもしれません。
大西新司祭は、叙階式の挨拶で「普通なら6年で司祭になるところ、私は12年かかりました。この恵みを忘れません。これは、多くの方々に忍耐させたという意味でした。私は、これから、忍耐することを生涯の目標にします」と宣言しました。その顔は、モーセの顔ように輝いていました。大西神父さん、おめでとうございます。
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