お知らせ
週報No.357-2017年9月17日(年間第24主日)
2017年09月16日
1.長寿のお祝い会開催について
本日、9月17日(日)、11時30分よりケルンホールにおいて長寿のお祝い会を行います。長年、関口教会を支えて下さった先輩の皆さま方の長寿をお祝いいたしましょう。
2.マリア会からバザーのお手伝い募集のお知らせ
マリア会は、バザーでパンと喫茶を出店します。当日10~14時の間の1時間を、一緒に手伝っていただけませんか? ご都合のつく方は是非、マリア会の木下、下田、高世、南部までお知
らせください。
3.「クリスマス音楽の集い」実行委員の募集について
今年の「クリスマス音楽の集い」(12月16日開催)を企画・運営する実行委員を募集します。事務所カウンターの用紙にご記入ください。(10月8日締切)
4.共同墓地の説明会開催について
カトリック府中墓地に建設中の関口教会共同墓地のご利用に関する説明会を9月24日(日)、11時30分より中会議室で行います。墓地をお考えの方、ご関心のある方はぜひご参加くださ
い。
5.聖歌隊練習のご案内
9月24日(日)、10時ミサ後、教理室1、2で聖歌隊の練習を行います。聖歌隊メンバー以外の方でも聖歌を練習してみたい方、見学してみたい方は是非、ご参加ください。
6. 2017関口バザーの会(代表鈴木修一)からのお知らせ
バザーを10月15日(日)に開催します。9月17日、24日、10月1日の各日曜日にエントランスホールで出店、献品、協力スタッフを募集しています。皆さまのご参加、ご協力をお願いいたしま
す。なお、出店の場合の仮払いは行いませんので、予めご承知おきください。
7.講座の再開について
各講座が次の通り再開されます。西川神父:9月9日、古郡神父:9月8日、加藤神父:9月9日、三田助祭:9月24日、Sr.品川:9月17日。
(2、3新しいお知らせ)
9月17日の予定
- ペトロの家(司祭の家)献金(各ミサ中)
- 長寿の祝福(10時ミサ、大聖堂)
- 長寿のお祝い会(11時30分、ケルンホール)
- 教会学校(10時ミサ後、長寿のお祝い会参加)
来週の予定
- 世界難民移住移動者の日献金(各ミサ中)
- 教会学校(10時ミサ後、教理室3、4)
- 共同墓地説明会(11時30分、中会議室)
- 聖歌隊練習(指導三澤、10時ミサ後、教理室1、2)
- アデステ(10時ミサ後、小会議室)
- 福音宣教省長官フィローニ枢機卿とともに捧げる司教団ミサ(主催:日本カトリック司教協議会)(17時、大聖堂)
- フィローニ枢機卿を迎えての懇談会(主催:東京教区)(15時30分、ケルンホール)
司祭短信14
先週、栃木県那須郡にある「アルスの家」に行って来ました。「アルスの家」は、東京の「ペトロの家」のように、小教区司牧から引退された司祭が余生を送るために用意された家です。行った目的は、昨年10月に亡くなった故清水 宏神父の遺品を頂くためでした。亡くなって一年も経っているので、いろんな方々が、許しを得て、遺品の一部を頂いておられ、残りの物が残っている感じでした。
清水神父は、1977年に大宮教会で司祭に叙階され、三つの小教区を担当しました。大宮教会、小山教会、そして、草加教会です。最初の大宮教会の叙任司祭をした後、6年間、イタリア、ドイツに留学させてもらい、聖書を研究しました。聖書の中でも旧約聖書を選び、特に旧約聖書の背骨とも称せられるユダヤ教学の研究に専念したので、その分野の書籍が山をなしていました。
私は、かつて、アルスの家に神父を訪ねたことがあり、彼の部屋を覗いたこともあります。部屋の中は本で埋まっていました。埋まっていると言っても、ただ積まれているというわけではありません。きちんと整理された書庫のように、分野別に、本棚や整理棚に収納されていたのを覚えています。日本語の本もありましたが、ほとんどは洋書でした。
神学校時代、特に、哲学院と言って四谷駅と市ヶ谷駅のほぼ中間にあった建物に居住していた頃、清水さんの部屋は本で埋まっていました。その頃は、むしろ、日本文学の書物が主流だったと記憶しています。週一度の半日散歩の行く先は神田の古本屋街だったと聞いています。まさに「本の虫」だったのです。それが、死ぬまでそうだったと言っても言い過ぎではないでしょう。
アルスの家に残された遺品には、本の他に、清水神父の日用品がいくつか残されていました。衣服や靴、帽子や庭道具です。私の興味は、本ではなく、そちらの方にありました。というのは、神父が、勉強や研究の合間に、アルスの家の庭を耕して花を植えていたのを知っていたからです。もともとその家は修道院でしたが、使われなくなったので教区に寄付され、引退司祭の家に改造されたのです。ですから、かなりの工事が施され、駐車スペースも広くされました。庭には、砂利が敷かれて、小さな広場になっていました。そこを、駐車スペースと、畑スペースに分けて、開墾し、花を植えたのです。鍬やスコップ、鎌にレーキを揃えての作業だったようです。なんとか、植物が育つようになり、花を育てるために本で研究し、種を買い寄せて、それをプランターに蒔いて苗を育て、耕した畑に移植して育てる、まさに清水流の正当な道を踏んでいたようです。
亡くなって一年、畑はすっかり雑草に占領されて、見る影もなくなっていました。しかし、その中に、コスモスがしっかりと生えて、花を咲かせていました。ピンクと黄色のコスモスです。額に汗をかき、手にマメを作って荒地を耕し、畑にして花を植え育てていた清水神父を偲んでしばらく佇んでいました。そういえば、何度か、自分で育てた花の写真をもらったことがありました。
帰りの時間が近づいた時、神父さんが使っていた道具の中から、植木バサミと花バサミを頂きました。何本あってもいい道具です。その他、履き慣れたような靴と司祭が着るシャツを何枚か頂きました。清水神父の形見として使って行こうと思っています。
清水神父が生前、特に親しくしていた山本夫妻、山本夫人の妹さん、それに神学校の同窓生が一緒でしたので、話題の主はほとんど清水神父でした。話しても話しても尽きない人です。
そういえば、帰り際に、アルスの家の世話をしている澤野神父さん会えたのが嬉しかったです。神父さん、ありがとう。
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