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2020年04月11日
助任司祭 ラニエル・バディラ・ベルドス
満開、満開。これは、最近、よく耳にする言葉ですね。日本で愛されている桜が100パーセントさいたようすで す。私は、桜の花のふくすうの色やいくつものしゅるいの桜がさいこうに咲いたのを見に行きました。かんどうしました。
このように、桜が満開したという状況は全教会の中で、イエスが復活してくださったことをしぜんに思いださせて、心を喜びでいっぱいにしてくれます。
満開、満開と、かんがえていた時に、ある二人のきょうだいのものがたりを思いだしました。かれらは人間ではなく、花なんです。
「桜が話せるそのむかし、二人の桜のきょうだいがいました。りょうしんがなくなったあと、二人はとおく小さな村にすんでなかよくくらしていました。ある日、弟(おとうと)がお姉さんに聞きました。
「あのね、お姉ちゃん。なんでぼくは満開にならないのかなあ?こまったなあ。」お姉さんはびっくりしてこたえました。「何を言っているの?今は12月。まだ早いでしょ。」「ああ、そうかあ。ごめんなさい。」弟がうつむいて言いました。1ヶ月たつと、弟はお姉さんに同じことを質問して叱れました。ところが、2ヶ月、3か月が過ぎて、3月も終わり頃になっても満開になりません。「ね、お姉ちゃん、もう3月もおわりだよ。なんで満開にならなかったの?」それが不思議でなっとくできませんでした。お姉さんは、「たぶん、気温の温暖が不足したんじゃない?」とこたえました。弟は、「でも、今日は気温25度だよ。それはおかしいなあ。」とぼやきました。「そうなんでしょうが、あなたが満開になるためには、気温だけではたりないのよ。私たちの祖先の言いつたえによると、もっと大切なのは、私たちが、満開めざして自分の心をひらき、人間が、私たちを見るときに、喜びますように、と願うことなのよ。」
皆さん、これはイエスの復活のことがわかるように書かれた「ものがたり」にすぎませんが、桜のきょうだいが考えたり見つけたりしたことはだいじなことだと思います。
私たちは、まいとし、イエスのご復活をむかえますね。心のじゅんびはどうでしたか?
まだまだつぼみですか?3部咲き?7部咲き?いいえ、満開ですよね。かおがかがやいてみえますから。桜は、私たち人間の人生の旅を考えさせます。桜に、花が咲く時、花がちる時、そして、ふたたび、花が咲く時があるように、人間にも生まれる時、死ぬ時、そして、復活する時があります。生きているあいだには、問題がかさなって、生きづらい時もあるけれど、命の回復の経験もかなりしています。そういうわけで、私たちは、りかいするのです。この人生の中で、もっとも大事なことは、神様にしんらいして自分をおまかせするということ。神様によろこんでもらえるじぶんになるということ。それが私たちにとって、満開の時と言えないでしょうか。今日の日曜日は、1年間の中で、特別な日曜日です。イエスが私たちのために復活された日、最初の日曜日ですから。洗礼を受けた私たちはみんな、復活から生まれた新しい人間、イエスと同じ「日曜日の人」つまり、「主の日」の人なんですよ。
私たちは、復活から生まれた人間として他の人々に、イエスの復活の本当の意味を伝える使命があります。
さて、この復活祭を持ちまして私は新しい小教区での奉仕が始まります。まずは関口教会の主任司祭である天本神父様に、改めて感謝致します。この一年の間、司牧者としての心がまえや奉仕の喜びを教えていただきました。そして、何より関口教会の皆さまに大変お世話になりました。
過ぎ越して
桜の中の ご復活
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