お知らせ
せきぐち – 2016年8-9月号
2016年09月20日
オキナワ・フクシマ
主任司祭 西川哲彌
今年もわたしたちは、8月6日から15日までの10日間を平和旬間として、広島・長崎への原爆投下で亡くなられた方々をはじめ、第二次世界大戦で尊い生命を奪われた方々を悼む時として過ごしました。二度とあのような戦争を起こさないとの誓いを新たにする祈りの集いが日本中の教会で催され、東京教区では「オキナワ・フクシマ」をテーマとし、今、日本で何が起きているかを検証しました。
テレビやラジオは、南アメリカで初めて開催されたリオ・オリンピックを連日細かに報道し、各国が抱える社会問題から人々の眼をそらそうとしているかに見えましたが、オリンピック開催に反対する人々の激しい抗議行動を完全に覆い隠すことはできませんでした。デモ隊に容赦なく銃撃する警官隊のやり方に、ブラジルの底知れない闇を見せられたような気がしてなりません。
さて、東京教区がテーマとして掲げた「オキナワ・フクシマ」をたどってゆきます。
オキナワで先ず浮かんで来るのは、今大戦で犠牲となった戦没者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」です。沖縄戦終結50周年に激戦地摩文仁の丘に建てられ、20数万人の方々の名が、国籍や職業、性別を問わず刻まれています。あの小さな島で、30万人近くの人々が命を失ったのです。なぜ沖縄の方々が命がけで米軍の新たな基地設置計画に反対するのかという問いに対する答は、この「平和の礎」にあります。身体を投げ出してでも工事を阻止しようという意思は、弾当てに使われた歴史を繰り返させないところにあるのだと思います。問題は、それを知ろうとも話題にしようともしないことです。オキナワを忘れないこと、オキナワから眼を離さないこと、これが大事なのです。
次にフクシマのこと。5年目の夏を迎えた福島浜通りの方々。その中には帰りたくとも帰れない方々、帰らないことを決心せざるをえない方々がいます。県や市から住居が提供され、家賃なしで生活している方が来年からそこを出るようにされ、生活破綻に追い込まれそうになっています。なんという非人道的な措置でしょう。除染作業が進み、生活困難地域指定が徐々に解除されてはいますが、放射能を含んだこのごみや土砂をどうするのか、未だに答が出ていません。ただただ積み重ねられているだけです。先が見えません。放射能は「大丈夫、大丈夫」と言っているけれど、住んでいる方も、それを避けて他県、他地区に移った方も、気持ちのどこかに黒雲のように不安が漂っています。ほんとうは大丈夫ではない。その上、福島第一原発の炉の中にある燃え落ちた核燃料のかたまり「デブリ」をどうするのか。廃炉への道はまだまだ遠いのです。フクシマの現実は今なお深刻です。問題は記憶が薄れてゆき、忘れ去られてしまうことです。
東京の人々に寄せられる期待は小さくありません。南相馬市の原町区にあるCTVC(カトリック東京ボランティアセンター)には、全国から今なおボランティアが訪れています。東京から車で4時間。「何かできることがあるでしょうか」「あります。たくさんあります。おねがいします。」
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