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せきぐち – 2011年12月クリスマス号
2011年12月21日
「きょう救い主が生まれた」
主任司祭 山本量太郎
もう30年ほど前のことになるだろうか。そのころ、わたしはまだ若き助任司祭であり、教会学校を担当していた。
クリスマスも近づいたある日曜日、小学生の子どもたちにクリスマスの話をしていると、一人の女の子が手をあげて、わたしにたずねた。
「神父さん、イエスさまは大昔の人なのに、なぜ今も、お誕生日のお祝いをするの?」
子どもの質問には時々、ハッとさせられるが、どうしてそのような質問をするのか分からなかったので、聞いてみると、こういうことだった。
その子には一緒に暮らしていたおばあちゃんがいたが、何年か前に亡くなった。すると、その翌年から、おばあちゃんのお誕生日はお祝いしなくなり、その代わり亡くなった日、つまり命日にお祈りをするようになった。
それなのに、大昔に亡くなったイエスさまの場合は、今でも毎年お誕生日のお祝いをしている。なぜだろう、という素朴な質問だった。
いかにも子どもらしい、その質問に、わたしはこう答えた。
「それはね、イエスさまが今も生きているからだよ」
するとその子は、どの程度納得してくれたかは分からないが、そうなのか、イエスさまは今も生きているのか、とつぶやくように繰り返していた様子だった。
でも、その時、実はわたしのほうが、思わず言った答えを、心の中で繰り返していた。そして、初めて発見したように、感動していた。
そうなのだ、イエスさまは今も生きておられるのだ……。
その子は、もうとっくに大人になっていて、そんな質問をしたことも忘れているだろう。でも、わたしは毎年クリスマスが近づくたびに、「それはね、イエスさまが今も生きているからだよ」と答えた時のことを思い出す。
イエスさまは今も生きておられる。いや、生まれ続けておられる、と言ったほうがいい。
だから、今年のクリスマスにも、きっと多くの人の心の中に生まれてくださるに違いない……。
クリスマスの夜半のミサで、一同は喜びのうちに福音の序曲、アレルヤ唱を歌う。
「……きょうわたしたちのために救い主が生まれた。アレルヤ。」
2千年以上も前にユダヤのベトレヘムでお生まれになったイエスが、きょうもわたしたちの心の中に生まれてくださることを祝うことこそがクリスマスなのである。
(この文章は、かつて「聖書と典礼」に掲載されたものに手を加えました)
せきぐち2011.12.クリスマス号(計5頁)
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