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せきぐち – 2014年12月号
2014年12月27日
丹下健三 ― 東京カテドラル聖マリア大聖堂の設計者
東京カテドラル聖マリア大聖堂を設計したのは、世界的な建築家、丹下健三先生です。1961年に東京教区主催のコンペで、先生は一等を受賞されました。竣工はその3年後、1964年12月です。この年の9月には、これもまた先生の代表作である国立代々木競技場も完成しています。
1961年から1964年にかけて、先生は「〝空間と象徴〟という問題に取り組むことになった」と随筆に書いておられます。「現代建築はいつの間にか、この象徴ということを忘れ去っているようにも思える。ひとつ、いい機会だから、私たちがこの問題に真剣に取り組んでみようと考えた」(『一本の鉛筆から』)。こうした先生の深い思索の具現の一つが、上空から見れば十字架の形をしている聖マリア大聖堂です。わたしたちは、それを空から眺めることはなかなかできませんが、十字の形をした天井の開口部から差し込んで、一見無機的と思えるコンクリートの壁面を温かく照らす陽の光はいつも目にしています。
丹下先生は2005年3月22日に91歳で亡くなられ、葬儀は聖マリア大聖堂で行われました。建築史家の藤森照信氏が追悼文に次のように書いています。「東京カテドラルが儀場に選ばれたのは、先生の代表作だからとばっかり思っていたから、冒頭、司祭さんが「ヨゼフ・タンゲ・ケンゾー」と言われたのにはびっくりした。洗礼を受けておられたのである」。「後に丹下孝子夫人からうかがったところによると、(中略)10年ほど前、自作の聖堂に眠ることに決め、洗礼名はイエスの父の大工のヨゼフにちなんで、ヨゼフとしたのだという」(「知られざる丹下健三」、『新建築』2005年5月号)。
葬儀によって丹下先生の受洗の事実は世に知られることになりましたが、その詳細はあまり知られていません。今回、孝子夫人に先生の受洗のことについて、電話で少し話をうかがいました。
丹下先生が洗礼を受けられたのは、亡くなる2年前、2003年7月のことで、洗礼を授けたのは、上智大学元学長で物理学者としての顔も持つ、イエズス会の柳瀬睦男神父様(1922~2008年)です。柳瀬神父と丹下先生とは古くから昵懇で、神父が先生の自宅を訪ねることもたびたびであったそうです。やはり柳瀬師の影響が大きかったと思うと奥様は話しておられました。洗礼式は、すでにご病気であったため自宅で行われました。丹下先生は柳瀬師に、自分にもしものことがあったらカテドラルの納骨堂に葬ってほしいと常々おっしゃっていたそうで、その願いのとおり、ご遺骨はカテドラルの納骨堂に納められました。
1938年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業し設計を始めてから半世紀以上にわたる間、先生は日本各地、さらには海外においても数多くの建築を手掛けられました。東京都庁は新旧ともに丹下先生の設計です。1980年には文化勲章も受けられました。
先に引用した追悼文の中で藤森氏は「丹下健三は、自分の過去というものにどんな興味も持っていなかった」と書いています。ご自分の業績を振り返るような建築展を一度も開いておらず、ニューヨーク近代美術館(MoMA)からの要請すら断っていたというのです。それは、晩年に至るまでバイタリティもモチベーションも、そして創造性も一切失うことなく、仕事に取り組まれた先生の姿を示す逸話であると思います。
敗戦から飛躍的な経済成長を遂げた日本の文化を、つねに未来に目を向け支えられた丹下先生。その代表作である大聖堂で、今日もわたしたちはミサにあずかっているのです。(先生のお写真は丹下都市建築設計にご提供いただきました)
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