お知らせ
せきぐち – 2014年7月号
2014年08月04日
日曜信仰講座報告
2014年6月15日、雨宮 慧神父様をお迎えし、日曜信仰講座が開かれました。雨宮神父様は、ローマの聖書研究所で修士号を取得されています。
その当時の様子も合わせて、お話しされた概要を以下のとおりお知らせします。
ローマでの留学時代からの学び
私はイエズス会が運営する教皇庁立の聖書研究所で学びました。そこでは現代語を3つ読めることが条件であり、その他に、古代語としてギリシア語、ヘブライ語がわかることは当然なのですが、それ以外にもう一つの古代語を加え、計3つが理解できることが条件となっていました。また、同聖書研究所では、新約と旧約を分けないで、聖書は一つという考え方をもっていました。それは、私にとって非常にありがたいことでした。聖書は一つという考え方ですから、取得しなければならない単位は、新約と旧約が全く同じ単位数でした。私は旧約が好きだから、旧約だけ学ばせてくださいというわけにはいかないのです。
聖書の勉強の他に語学の勉強もあり、聖書地理学やイスラエルの歴史など、ありとあらゆることを勉強しなければなりませんでした。ローマに着いて最初に、今後住むことになるコレジオに挨拶に行ったとき、ちょうど昼食時で隣に座ったアフリカから勉強に来ていた司祭に、「何を勉強するのか」と聞かれて「聖書を勉強する」と答えると、「私は今、聖書の勉強が終わって帰るところであるが、4年間1度も笑ったことがなかった」と言ったことに驚きました。実際、私はよく笑っていたと思いますが、彼が言いたかったことは身にしみてわかりました。
私は、日本でいう修士号を取得したのですが、それを取得してすぐに日本に戻ってきました。修士号に続き、博士号の勉強をする人がいますが、同研究所では、修士号と博士号の勉強をする人をはっきりとわけていることもその研究所の徹底しているところでした。修士のための勉強には、なるべく門戸を開いて、聖書について話すことができる最低の知識を教え、教会に役立つということが大変重要なのです。それに対して、博士号の取得は大変難しく、世界に通用する学者を育てるということが目的となっています。私は修士の勉強が終わったらすぐに戻ってきたのですが、ローマで勉強しているときに、帰国したら、教会で聖書をどう読み解くことができるかということを中心に仕事をしようと思いました。
聖書の理解において大切なこと
私は、今まで教会で朗読される朗読箇所について、25年間、『ゼーヘル』、『こるとす』、『アルトス』などいろいろなものを発行してきました。ですから、今日は、今日のミサでの3つの朗読をもとに、自分の思い入れを入れずに客観的に読んでいくとどんなことが見えてくるかということをお話しいたします。聖書を読む時の第一のポイントは、自分の言わせたいことを言わせないということです。自分の言いたいことを聖書のことばを通して言っていくことはルール違反で、聖書が言いたいことを理解することが根本です。聖書が言いたいことを理解するためには、聖書を読むしか方法がないのです。そこで、どんなふうに読んでいったらよいかを資料に基づき、お話ししたいと思います。
以上のようなはじめのお話に続き、聖書を読むうえで、とても大事なことは文脈を思い出すことであり、どのような文脈の中で、その箇所が書かれているかということを思い起こしながら、当日の朗読(A年「三位一体の主日」第一朗読(出エジプト記34章4b-6、8-9節)、第二朗読(コリントの信徒への手紙二13章11-13節)、福音(ヨハネによる福音書3章16-18節))の文脈からとらえることのできる、詳細な解説が行われました。
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