お知らせ

せきぐち – 2012年8-9月号

2012年10月05日

「集う」

助任司祭 倉田厚

助任司祭 倉田厚日々の生活の中で、慌ただしくお過ごしの方も多いかと思います。わたし自身も、要領が悪いのと性分から来るもので、慌ててしまい、落ち着きを失ってしまいがちです。

そんなわたしには、今年もまた、子どもたちを通したお恵みに包まれ、我に返してもらえました。

サマーキャンプに始めて参加した子どもが「みんなで食べるとご飯がおいしい」とわたしに伝えてくれました。たったの二泊三日で、家族のような交わりを感じとり、そこに喜びと力、勇気を得たその子に感心すると同時に、その教会家族を見つめ直しました。

関口教会に育まれた青年や保護者、ここ最近交わりをもった青年まで、多様なメンバーでリーダーたちはこのキャンプを準備しました。

毎年欠かさず参加し、毎週欠かさずに通う子どもたちから、来られたり来られなかったりの子どもたちまで多様な顔ぶれであります。

年齢も経験も教会との交わりの深度が多様であるにも関わらず、そこには確かに、後のものも先のものもない神の国の平安がありました。

天の父の元にある家族は、与えられたお恵みによって、お互いに支え合います。支えながらも確かに喜びがあり、そこに利害はない。喜びを味わう温かい家庭がありました。子どもを叱ったり、褒めたりするリーダーには親のような愛情が垣間見えました。リーダー同士の未熟さはお互いに補い合いました。

わたしが我に帰ったのはこの点でありました。慌ただしくしておりますと、つい招こうとしたり、招かれようとしたり、自分だけを主体としてしまいがちです。

東京カテドラル関口教会『きぐち2012年8-9月号』家庭とは、そこに共にいることが自然な集いです。そこにいるのに理由はいらない、自然な集い。招くのではなく、もてなし合うに留まらず、互いに愛し合う。良い意味で油断できる。いうなればお腹を出したまんま眠ってしまえる場。これこそ家庭だと思います。教会とはそういう家族の場だと思うのです。

天の父に集められ、イエス様が真ん中におられ、聖霊の息吹に包まれるわたしたちであることを忘れてしまいがちです。

この家庭にはお客さんはありません。放蕩息子は我に返って「そうだ父のところに行って言おう。」と言います。わたしたちは、天の父と共にいる喜びを求めます。誰しもが、父に愛される愛息子、愛娘であります。不義理を生きるわたしたちは、いつも家庭に包まれ励まされます。

神の国には、天の父がおられます。そこは神様ご自身がおられ、わたしたちを招いてくださいます。わたしたちは招かれるものであります。そして招きに応えて集まるものです。

父のもとに生きる喜びを、味わうために、集まりましょう。喜びの集いを深めましょう。

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