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復活の八日目(ヨハネ福音書20章19節〜31節)
2019年04月27日
ご復活を迎えたわたしたちは復活節という典礼暦にはいります。今日は復活節第2主日ですが、伝統的に白衣の主日とも呼ばれてきました。洗礼を受けた人は目に見えるしるしとして白い衣を代父母から与えられます。その時、司祭は受洗者に向かって、次のように告げていきます。「あなたは新しい人となり、キリストを着る者となりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい。」
古代教会において復活祭に受洗した人たちは目に見えるしるしとしての白い衣を復活の八日目に脱いだそうです。それは八日目が新しい時のサイクルを示す意味をもっているからと言われています。神がこの世界を創られた七日間という一つの完成されたサイクルに新たに1日を加えた八日目に新たなサイクルがはじまっていく。目に見えるしるしをもってキリスト者として生きるサイクルから、しるしによらずキリストを着ていることを証ししていくキリスト者となるサイクルへと変わっていく時なのだと理解していくことができるのでしょう。
今日の福音でトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(ヨハネ20:25)と告げていきます。このトマスの言葉はわたしたちの心の何処かに潜んでいる思いを代弁しているかのようです。そんなトマスに対して復活したイエスが出会っていきます。それが八日目の出来事です。イエスは「わたしを見たから信じたのか、見ないのに信じる人は幸いである。」と告げていく。わたしたちは過去の思い、ことば、行い、怠りに、いとも容易く絡めとられてしまいます。絡めとられてうずくまってしまう私ではなく、イエスの言葉によってそこから立ち上がっていく私へと導かれていく。この八日目という時はこうしたシンボリックな意味合いをもった時なのでしょう。 わたしにとっても、今年の復活の八日目は名実ともに新しい時となりました。関口教会の皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。
天本昭好神父
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