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お金について

2017年10月21日

三田助祭

[福音箇所 マタイ22:15−21]

わたしは車を運転してイスラエルを旅したことがあります。ある土曜日のことですが、子供たちがわたしの車に石を投げてきました。彼らにとって、わたしは安息日に車を運転している罪人なのです。ファリサイ派の人々は御父がモーセを通してユダヤ人と結んだ契約を勝手に、自分たちの都合が良いように解釈し、子供たちにも同じように教えていることを知りました。彼らにとって御父は律法を通して人々を縛る怖い神様なのでしょう。

御父の愛を教えておられたイエスは彼らにとって邪魔な存在でした。今日の福音にある質問はイエスがどう答えても訴えられるのです。もしイエスが税金を払うべきだと答えれば、人々はイエスに向かって石を投げたでしょう。もし払う必要がないと言えばローマの兵隊がイエスを捉えるでしょう。

自分の日常生活の中でわたしが気にしていることについて、今日の福音から学ぶことがもう一つあります。私たちは日常生活の中で、お金について考える時間と、神について考える時間と、どちらが長いでしょうか。もしお金の方が長いなら、お金を神より大事だと思っていないでしょうか。お金を神と思い違っていないでしょうか。お金には必ず「日本」と書いてあり、神ではありません。御父が最も嫌いな偶像礼拝の罪を犯していないでしょうか。

神様、私たちの日常生活の中であなたを一番大事にする生活が常にできますように。

三田一郎 助祭