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毒麦のたとえばなし
2017年07月22日
毒麦のたとえばなしは、今のこの世の混乱した様を説明するのにぴったりのような気がします。
種をまく人は神さまですから、良い麦の種を蒔かれたはずです。しかし、毒麦もたくさん芽を出していることもご存知です。どこから毒麦が入ったのか僕が主人に聞くと「敵の仕業だ」と、一言のもとに答えられます。「人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った」ことをよくご存知でした。
「人々が眠っている間に」とあります。主人である神さまが眠っていたとは書かれていません。神は寝ずの番をされる方ですから、敵の仕業を阻止することもできたでしょうに。その上、僕たちが「行って抜き集めましょうか」と聞いた時に『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れのとき、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」と言われます。
このたとえ話を読むと、わたしたちの住むこの世界の争い事が書かれているかのようです。敵である悪魔は、今も猛威を振るっています。民族間の争い、国家間の難しい問題、難民の続出、テロや病気の蔓延、貧困、身近なところでは家族内の不和、憎しみなど。神さまの力をもってすれば、何もかも問題にならないくらい簡単に平和が生まれ、よい麦の実りを人々は喜んで享受できることでしょうに。しかし、現実には悪の根は絶えず、昼も夜も善良な市民が戦火や不法な取り締まりに怯えなければならない現実は続きそうです。わたしも、平和の実現はそう簡単にはやって来ない、と悟ったような心境です。勿論あきらめてはいません。
神さまはこの世界のあらゆる種類の争いをご覧になり、良い麦も毒麦も、両方とも育つままにしておくように指示し、忍耐をもって「刈り入れのとき」に向かって時を進めておられるのだと考えます。この間、悪魔は神の国を破壊するために、恐ろしい力を帯びて働いています。これ以上人間が、悪に魅せられ、虜になり、神の意に反することに染まることのないように、何とかして悪の蔓延を止めたいと思います。善意ある人々と、陶冶された良心の持ち主たちは、夜も昼も、たぶん世の終わりまで悪と戦い続けるでしょう。しかし、神は忍耐しながら、「刈り入れのとき」を待っておられるのです。計り知れない神の忍耐、度量に驚きます。
Sr.品川ヨシ子
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