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かわいい子には旅をさせ

2016年03月05日

シスター品川

今日の聖書は有名な「放蕩息子」のたとえばなしです。放蕩息子の話は本当に良くできています。日本の諺で言えば、「かわいい子には旅をさせ」でしょうか。かわいい子はわたしたちのことです。

たとえばなしだと思い何気なく読んでいますが、父親の生存中に、父親の死後に受ける遺産を、今相続したいという息子がいるでしょうか。例えいたとしても、その息子の言いなりに、財産を分けてやれば、すぐにも財産を売り払い、浪費し、文無しになること位、子供を知る親であれば分かるはずです。寛大な父親は、想像できる息子の苦労を甘受し、その実りであるところの「死んでいたのに生き帰り、祝宴を開いて喜び楽しむ」ことを選ばれます。冒険を許した父親の厳しい愛とその結果は、息子の甘えの構造から新しいいのちへのよみがえりに向かっています。

たとえばなしでは、父親の考えていた通りのことが起こります。
「下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまい」、「何もかも使い果たしたとき」彼は食べるものもなく、飢え死にしそうな困難な状況の中で、初めて目覚めます。聖書は彼の気づきを人間らしく、父親のところには有り余るほどのパンがあり、自分が働く場があることを思い出したと描いています。彼はこの体験から、恵まれていたこれまでのすべてのことが、実は当たり前ではなかったことに気付き、父のもとに帰ります。

父親の所に戻った彼は、赦しを請い、父親の準備してくれた祝宴の席に着きます。聖書の中で、祝宴は天国の宴です。この「放蕩息子」は、どんな顔をして父親が用意してくれた祝宴にあずかったでしょうか。想像してみると、面白いです。この話は、何回読んでも尽きない内容があります。

 

Sr.品川ヨシ子