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契約の血
2015年06月06日
契約書の締結には、それが大切なものであることを表すために、今の日本では印鑑を押します。
博物館や戦争記念館などで何度か見たことのある血書や血判が、命賭けを表すその表現に、見ているわたしの体の中を流れている血が凍る思いをしたこともありました。
今日でも、遊牧民族が長い旅に出る前に旅の安全を祈って子羊を殺し、その血で祈りを捧げている風景をテレビで見たこともあります。彼らにとって小羊は大切なものですが、旅に危険はつきものですから、神さまが彼ら遊牧民の命を守ってくれる事を願って子羊を捧げるのでしょう。
誰でも、愛する者がいたら、その人のために自分の命を差し出せるかというと、そうでもありません。日本語で「目に入れても痛くない」と言えるほど、その人を愛している時に、その人のために自分を捨てることができるかもしれません。
そう考えると、今日の福音の中に「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」とあるように、イエスさまは本当に多くの人を愛されたのだと思います。それは単なるジェスチャーではなく、それも文字どおり命賭けだったことが分かります。契約の血が流される時が、イエスさまの人生の頂点だとわかります。繰り返しいただくキリストの体「聖体」をもっと噛みしめて味わいたい、イエスさまの心をいただきたいと思います。
Sr.品川ヨシ子
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