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わたしの選ぶ断食とは
2014年02月08日
宗教と断食は、密接な関係にあります。断食は心を清めますし、求めているものへとまっすぐに向かう姿勢をつくります。そのため、あらゆる宗教は食べるということと、それを断つということに宗教的意味を見ています。
今日読まれる旧約聖書のイザヤ書には次のように書かれています。
[主は言われる。わたしの選ぶ断食とは]
飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で
あなたの傷は速やかに癒される。 (イザヤ58.7-8)
今日のような飽食時代にも、食べものに事欠く人が多いことは誰でも知っています。一方、肥満、糖尿、生活習慣病の心配をする人が多いために、新聞の広告欄、チラシ、テレビのコマーシャルには食べものとサプリメントが満載されています。
ダイエットのために断食するようにと勧められているのではなく、主の選ばれる断食をすることによって、神の光がわたしを通して輝き出で、わたしの持つ傷は速やかに癒されると言われるのです。
ここで思い巡らしたい言葉は、「そうすれば.....あなたの傷は速やかに癒される」です。
神の選ぶ断食は、すべて愛徳です。惜しみなく愛すること。その結果、神の輝きはわたしを貫き、輝き出ます。神の輝きがわたしの傷をいやすのではないでしょうか。
実に味わい深いみ言葉です。
断食はただ食べないこと、食を断つことではないということを、改めて味わい直してみましょう。
Sr.品川ヨシ子
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