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「それでは、あなたがたはわたしを、何者だと言うのか」
2013年06月22日
数年前、時間があると日本のキリシタン史に関係ある本を読んだり、史蹟を訪ねたりしたことがあります。元来、歴史に興味がありましたから、そんな時間が恵まれていることを喜び、せっせと歩き廻ったのを思い出します。
江戸時代の殉教者については、多くの貴重な記録が残されています。日本の場合には、明治に入っても殉教者がいますから、割合近い過去まで続いていたことになります。
それらの歴史を紐解いて行くと、不思議なことに、そこには「その他大勢」という登場人物たちではなく、はっきりとした「個」人が現れて来ます。その「個」が、確固とした自分の意思表明をしているのです。それは、学問のある人、無学な人、地位のある無しに関係なく、いのちがけで自分の信じている方を表明しています。こうした事実に出会うと、身が引き締まる思いを何度もしたのが思い出されます。
今日読まれる聖書はルカ福音書9章18節~24節ですが、その中に「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」と聞かれた後で弟子たちが「それではあなたがたはわたしを、何者だと言うのか」とイエスに問われている箇所があります。
他の人がどうこう噂していますと言うことはやさしいことです。しかし、わたしの確信、それがいのちを賭けることにもなる信仰告白であれば、やさしいことではありません。
長崎、五島列島、大分国東半島、津和野、鳥取、広島、江戸、米沢、仙台・・・という地名を聞く度に、かつてその地でいのちを賭けた人たちの姿がふっと思い描かれます。それは今日のわたしの生き方へのチャレンジにもなっています。
Sr.品川ヨシ子
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