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滋養になるパン
2013年06月01日
最近あまり使われない言葉に“滋養”があります。食生活が豊かになり栄養が行きわたったためでしょう。滋養のある食品などというと、病人に積極的に摂って欲しいものとして使われる言葉のように思います。
パン屋さんの前を通ると、何と表現してよいか分からない良い香りがします。ただ甘いだけではなく、イースト菌が発酵する時のあの香りは、独特のものです。お腹がすいていれば、どんなものでもおいしいものです、と言われても、それが体に悪いものならば食べるのを躊躇します。
わたしの場合、食材を買いに出かけても、原材料の中に気になるものが入っていることが分かれば他のものにします。パンも、ただおいしいだけでは足りません。
イエスは自分のことを「いのちのパン」と言われました。イエスを神さまだと心から信じ、イエスを必要とする人に、イエスはご自分を「いのちの糧」として与えてくださいました。
それは2000年前の最後の晩餐から、今日に至るまで続けられています。今日お祝いする「キリストの聖体」はそのパンになられたイエスのことです。悪い添加物の無い純粋な神からのパンなのです。
わたしたちは誰でももっと健康になりたいと望み、混ざりものの無い、本物のいのちを養うパンを必要としています。イエスはわたしたちにとって間違いなく「滋養になるパン」です。このパンによって、世界中の人が幸せになり、一つに結ばれることがイエスの願いでした。
このパンがわたしたちの口に美味であるだけでなく、わたしたちの全存在を生かしてくださる滋養あるパンなのです。イエスは自から望んで、わたしたちの人生の“旅路の糧”“旅路の同伴者”としてパンになられたのです。
Sr.品川ヨシ子
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