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人はパンだけで生きるものではない
2013年02月10日
春が近づき、何となくそわそわした気分になってきますが、教会は最も大きな祝いである復活祭に向けての準備の期間に入ります。復活はいのちの祝い、春です。その準備が始まります。この期間を教会は四旬節と呼び、イエス・キリストが公に宣教生活を始められる前に、荒れ野での40日間の生活をされたことに因んで、復活祭を迎える心の準備をします。
また、この期間は、復活祭に洗礼を受ける人たちのための特別な時で、世界中の教会は洗礼志願者のために、心を合わせて特別に祈ります。
教会で今日読まれる福音書の中には、「人はパンだけで生きるのではない」という有名な言葉があります。これは、40日間続けられた断食の後、悪魔がイエスを誘惑して「神の子なら、この石がパンになれと命じたらどうだ」という言葉に対して、イエスが返された言葉です。
人間は、生きていくためにパン、つまり食べ物を必要とします。食べるために生きるのではなく、生きるために食べています。しかし、十分に食べられるようになった時には、口は奢り、心も奢り、食べ物を得ることができるのは自分の力だと思ってしまうようです。
勿論謙虚な人も大勢いて、折々に、万物の与え主である神に感謝することを忘れない方たちもあるでしょう。
旧約聖書には「あなたは、自分の力と手の働きで、この富を築いたなどと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力を与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。」(申命記8章17節)とあります。
新聞やテレビを見ていると、思い上がりは恐ろしいものだと感じます。自分で自分の幕を引く結果になると想像できるような発言や出来事が後を絶ちません。
パンだけを追い求める人生でない生き方をしたいものです。
シスター 品川ヨシ子
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