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受難に立ち会う
2012年04月01日
「おやおや、神殿を打倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」
「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」これは今日の福音。
4月1日。世の中はエイプリル・フール。この日はちょっとした嘘や冗談を言って楽しむことができるとされて、かつてわたしも罪のない冗談を言って遊んだことがある。
今の日本はどちらかと言えば鬱状態で、冗談で軽口をたたいたり、そうした雰囲気を楽しむことはあまり考えられない程の重々しい空気が日本全体を包んでいるように感じる。
こんな時に、復活祭の前だから、当たり前のように長い長いイエスの受難の場面が朗読されるが楽しいものではない。聖なる典礼だが、わたしはこの長い受難劇は好きではない。特に群衆の一人になって「十字架につけろ、十字架につけろ」と言わなければならない時には、逃げ出したくなる。
今日の福音の登場人物たちは、明らかにイエスをなぶりものにして楽しみ、追い詰めている。群衆は期待した救い主に見事に裏切られたことへの腹立ちと怒り、民衆の憧憬を集め、自分たちの存在感が取り去られ、嫉妬に燃える祭司長や律法学者たちの心の内に秘められた憎悪感は、このいまわの極みにおいて口汚い罵りのことばになって露わに噴き出す。
この激しい罵りの声を黙って聞くイエスは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と御父に大声で叫ばれる。口にされたのは有名な希望へとつながる詩編だ。3.11から一年が経ったが、わたしは何もできない自分を悲しく思う。しかし、百人隊長と共にイエスの方を向いて、そばに立つことが許されていることをしっかり感謝したい。
シスター品川
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