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待降節とクリスマスについて
2011年11月28日
待降節
カトリック教会では、クリスマス(降誕祭)の四つ前の日曜日から、クリスマスを準備する「待降節」という期間に入ります。
待降節は、イエスの降誕を待ち望む季節です。わたしたちの希望、わたしたちの人生における希望の光となって下さるイエス・キリストの誕生を待望する季節です。
日々の中に注がれる神様の恵みを確認し、希望に感謝しながら、救い主の誕生を喜び祝うクリスマスの準備をして参りましょう。
クリスマス(降誕祭)
クリスマスはキリストの誕生、救い主であるイエス・キリストの誕生を思い起こす日として古代から祝われています。イエスの誕生日について聖書には何も書かれておりません。
この日に、祝うようになった理由として、有力とされる説は、古代ローマ暦では12月25日が冬至となり、太陽誕生の日として祝っていたようです。教会はこの習慣に合わせて、この日を、希望の光であるイエス・キリストの誕生日として祝うようになったというものです。
もっと詳しく知りたい方は、教皇ベネディクト十六世の演説をお読み下さい。
馬小屋
ルカ福音書はイエス・キリストの誕生を以下のように記しています。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ2章1-7節)」
救い主となる方が、馬小屋として使われる洞窟で生まれ、飼い葉桶に寝かされるとは、奇妙な話に聞こえるかもしれません。しかし、むしろ、イエス・キリストの本性的な小さく貧しい者としての姿を示すものだと教会は考えております。
イエスは、まったく無力なものとして、わたしたちの隣人でありました。そしてその無力さの先に神の愛を受け入れる器としてのいのちを示してくださいました。
クリスマスが近づき待降節に入ると、多くの教会は馬小屋を飾り、誕生の場面を再現します。そしてわたしたちが救いの内にある喜びを思い起こします。
もっと詳しく知りたい方は、教皇ベネディクト十六世の演説をお読み下さい。
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